二皿目 あやとゆか・鮭皮茶漬け

「お茶漬けが食べたい」
その言葉に一瞬、耳を疑った。
洋画のDVDを立て続けに2本見終わって、もう夜中が近くなっている。小腹がすいたのはわたしも同じだけど、それにしたって。
「お茶漬けの材料ないけど」
敵わないことを知りながら少しだけ抵抗を試みる。
「冷蔵庫の塩鮭、さっき見えたもんねー」
よりによって鮭茶漬けってことは間違いなく確信犯だ。だめ?なんて上目遣いのおねだりとは悪党にもほどがある。
「…だめじゃないよ」
受けて立つよ。あえてそこに踏み込むつもりなら。
内心の動揺を押し隠して立ち上がり狭いキッチンに向かう。
あやのために作る、二度目の鮭茶漬け。

ちょうど去年の今くらいの話だ。
あやは手土産に持ってきたワインをほとんど自分で飲み干して酔っぱらっていた。自制心の強い彼女にしては珍しく泥酔状態だった。夜中過ぎて、おなかがすいたと騒ぎだしたので鮭茶漬けを作って食べさせたら、「ゆかは優しい」と何度も繰り返しながらこちらの目を盗んでは、残ったワインをがぶがぶ流し込んでいた。
たぶん、わたしも少し酔っていたのだと思う。
長い片想いにちょっと煮詰まっていた時期でもあった。
グズグズに酔ったあやのとろんとした視線と、普段しゃっきりしているこの子が珍しく見せた無防備な姿に目を奪われて、ほんの一瞬だけ、気持ちのガードが緩んだ。
飲み過ぎだよ、と注意しようとしたはずだった。けれどわたしの口からつるんと滑り出たのは、実に不用意な告白だった。
あやは訝しげに眉をひそめ、頭を抱えてうーんと唸り、おもむろに立ち上がってからその場にへにゃっと崩れ落ちるや、「わたし酔ってるみたい」と言ったきり眠ってしまった。
翌朝、わたしより少しだけ遅く起きてきた彼女は、こちらと目を合わせずに言った。
「ごめん。昨夜の記憶がないんだけど」
その気まずそうな表情を見て、それがあやの答えなんだと理解した。ずくずくと胸を打つ痛みが大き過ぎて、蒸し返すことなんてできなかった。
「特になにもなかったよ」
最大限の平静を装ってそう答えた。
「そっか、ならいいんだ」
それから彼女は、よかった、と呟いて、ようやくちょっと微笑んだ。

うす塩の塩鮭を焼いてごはんにのせただけの、なんてことないお茶漬けだけど、焦げ目がついた鮭皮を仕上げにトッピングするのが私なりのひと工夫だ。香ばしいカリカリとした食感が楽しめて見た目もちょっと格好いい、はず。
あやはそのビジュアルをひとしきり褒めちぎってから、意気揚々と口に運び、歓声をあげた。
「美味しい!ゆか、これすっごく美味しい!」
「ん、ありがと」
それからあやは嬉々としてお茶漬けを食べた。海苔やわさびを足してみたりして普通に味わっている。内心けっこう身構えていたのが徐々に拍子抜けしてきて、今度はじわじわと腹が立ってきた。あっと言う間に食べ終わった彼女は満足げに箸を置き、美味しかったーとため息をつく。その呑気な姿に、この一年くすぶっていたモヤモヤに火がついた。
「あや。これ前にも食べたでしょ」
あやは本当にびっくりしたというように目を丸くした。
「え、いつの話?」
この期に及んですっとぼけるのは許さない。
なかったことにして忘れる努力なんてもう疲れたよ。
「あやがうちに来て酔っぱらったときに」
抑えきれないトゲトゲしさのこもる口調に彼女は敏感に反応し、みるみる顔色が変わる。この子に怒りをぶつけたのはこれが初めてだったと気付く。
「ごめんなさい、わたし本当に覚えていないの」
おどおどした口ぶりと怯えたような眼差しは、それが嘘じゃないことを明らかにしていた。
「あの時ね、」
苦しそうな表情が、急にくしゃりと崩れた。
「ゆかに、ちゃんと言おうって決心してここに来たの。なのに緊張していっぱい飲んじゃって、気がついたら朝になってて」
そこまで一気に言って、いったん言葉を切ってから、吐き出すように続けた。
「ねえ教えてよ、ゆか。『なにもなかった』って言ってたけど、わたしきっと、言っちゃったんだよね?」
どうしよう、胸が詰まってなにも言えない。
こんな嘘みたいな遠回りをどうやって修正したらいいのか見当もつかなくて、わたしは彼女の目をただ見つめ返すことしかできなかった。

<了>

※そのうちイラストが入ります。

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